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「曲芸飛行」と「嵐のあとを生きる人たち」

コラム

2021年5月5日

「曲芸飛行」として症状を捉える

まずは、トラウマが背景にある人たちが抱える症状や行動に対して、新しい理解をしなくてはいけません。その一例として、虐待を生き残った人たちに起こることに対して、白川(2016)によるたとえを見ることからはじめましょう。

虐待の中で育つということは、曲芸飛行を重ねてきたようなものです。次から次へと現われる予測できない障害をクリアし、虐待者が繰り出す意味不明な指令や、自分がしなくてもよかったりする指令にもしたがい、とても大変だったけれど、曲芸でもするように飛ぶことしか出来なかったのです。自分の意思にもとづいてまっすぐ飛ぼうとしたり、計画通り飛行していたら、いきなり出現した障害物に激突したり、失速して墜落するのがオチです。

白川美也子(2016)赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア

虐待、機能不全家族、支配と被支配関係、苛烈ないじめ、性被害など・・・トラウマとなるような出来事はさまざまです(参考:何がトラウマとなるのか)。しかしそれは決まって、「嵐」と呼びうるような過酷な環境です。暴風吹き荒れる中、そこを切り抜けるためには普通の飛び方では太刀打ちできません。そこで身に着けるのが、曲芸飛行です。問題は、嵐が終わったあとになお、その曲芸飛行が続くという点です。彼ら・彼女らはずっと曲芸飛行を続けていたため、 普通の飛び方がわかりません。また、いつ再び嵐が起こるか分からない不安からか、リラックスして操縦桿を握れず、ちょっとした風が吹いただけですぐに曲芸飛行を再開してしまうのです。さらには、慣れているせいからか、なぜか風が吹いた危険な空を飛ぼうとさえしてしまうのです。

「嵐のあとを生きる人たち」

そしてこうしたかつての「嵐」を曲芸飛行で乗り越え、その後もなんとか生きている人たちのことを、上岡と大嶋はその著作の中で「嵐のあとを生きる人たち」と呼びます。このたとえは分かりやすいようで、本人だけではなく周囲の人たちへの心理教育をするときにも使用できます。トラウマが背景にある人に対するアセスメントの中に、この観点があるかないかによって、支援の質や方向性は大きく異なると思います。なぜなら困難なケースになればなるほど、いかに残った健康的な部分にアクセスするか、ということが重要となるからです。

トラウマを負った人たちの症状や問題行動は、診断基準という視点からは、それは例えば解離や境界性パーソナリティ障害といった病名で呼ばれるかもしれません。しかしそれを別の視点から見るのであれば、生き残るために身につけたその人なりの大切な適応方法であるという理解が可能になります。「曲芸飛行」のたとえは、彼ら・彼女らの症状や問題行動が一方的に責められるものではなく、生き抜くために必要なものであったとリフレーミングするものだと言えます。同じく「嵐のあとを生きる人たち」のたとえは、症状や問題行動の中になおも残された積極性を有効活用する可能性を開くことになります。

症状や問題行動を病理的な問題だけで捉えるのではなく、生き残るために必要な手段として見ること、そしてそうして生き残っていることに対して敬意を持つこと。まずこれがトラウマを負った人に対する心理的援助の中で、基本的なものになると考えられます。

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